たいちょーの雑記

ぼくが3日に一度くらい雑記をかくところ

競プロはじめてから1年ぐらいたった

楽しい

でもつらいときもある

1年ぐらい経ちました

去年のこれぐらいの時期にAtCoderに登録したような気がします。(今使っているアカウントは4月末のコンテストから参加してたので正確な日がわからん)

コンテストには合計で43回参加してるみたいで、レートは水色一歩手前で揺れてますね。こう見ると成長がえっちらおっちらですねこりゃ。
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コンテスト用のリポジトリはもいい感じ(?)にcommitが増えてきました。
github.com

なので覚えてることとかをせっかくなので書いてみようと思いました。

出会い

同期にICPCへ誘われて始めました。今思えば自分にはちょっとハードルの高い始め方だったようにも感じます。
自分はC#が好きなのでそれでやろうと思っていたんですが、ICPCC#が使えないのでC++でやってました。(早く使えるようになって)

ICPCまでは同期にC++教えてもらったり、ABCに出ていたりしていました。このころはSTLや競プロ的な問題文や解説の言い回しに慣れなくて四苦八苦してた覚えがあります。弊学の競プロサークルでは毎週バチャコンを行い終わった後に解説し合う、というのをやっていましたがみんなの解説が解らなくて例の顔みたいになっていました。

このころはとけてもABCのBまで・・・とかで、ようやくC問題やICPCの過去問の300?問題を読んで長考して解けるぐらいになったころに本番が来てしまってました。

ICPC

自分はA問題を担当しました。Aを解いた後はB,Cをメンバーが解いてる間にDを読んだりしてました。ICPCはチーム戦で、ggれないしPC1台しか使えないしとかで勝手が解らずにぶっ倒れてたことしか覚えてません。

結果は5X位ぐらいだった気がします。

そのあと

ICPCの後はせっかく始めたし、ということで続けていくことにしました。ここからはC#を使いました。C++でやってる時にLINQがあればな~と思うことが多々あったので・・・それなりにC#も速いですし。Visual Studioのインテリセンスがはちゃめちゃ強いですし。

ただジャッジサーバがだいたいmonoなのでこちらが未来のC#を書いてることが結構あるのが辛いところでした。(とくにAOJのやつ)

とりあえずAtCoderのC問題ぐらいがコンテスト中に安定して解けるように目指して過去問埋めをやっていました。まあ色んな所に書いてあるんですが、C問題ともなると競プロ的な知識がないと解けない感じだったので躓いていました。これは9月ぐらいだったと思います(レートのグラフもそうなってますね)

Cがちょっとわかる

C問題がちょこちょこ解けるようになってきたころが10月ぐらいからでした。なにか切っ掛けになるようなことがあった・・・のかは思い出せませんが気づいたらチョットワカルになってました。あえていうなら問題に対して「考えようとする気持ち」が一番高かった気がします。

コンテスト中にCまでは解けるのでD・・・と思って問題をみて無言になるのを繰り返していました。

最近

全然できません。昔聞いていたラジオで、「成長は階段みたいなもんで、なかなか伸びないとき、それは踊り場にいるだけだからもう少し頑張ろうな」って言ってたのを思い出します。完全にそれを感じてます。

400点を安定して解けるようにと思って400点埋めをしたんですが、これがなかなか。
これぐらいになるとやはり必要になる知識の幅が広くなってきます。今ある400を埋めきったところで次のコンテストをクリアできるかっていうとうーん・・・と思ってしまいます。

before
twitter.com

after
twitter.com

これが10月ごろと同じようにまた伸びへ転換してくれればいいんですが・・・!

あと自分の苦手な問題もよくわかってきた気がします。例えば

これですね・・・・こういうなんか・・・算数?みたいな問題が苦手です。算数サボったからかな・・・

偉そうで申し訳ないんですが、AtCoderの最近の問題はまた難しくなった気がします(質が上がったともいう)。
DijkstraやるだけUnion-Findするだけみたいなのは減って、それらを使うためにどうやって状態を減らすかとかが必要な気がします。まあこれが上手く思いつかないんですが

あとは考察が終わっても書くのが遅いのでこれも何とかしないと・・・

これから

やっぱコンテスト中とかに解けないと普通に凹むんですよね。めちゃくちゃ悔しいんですよ。他の人は解いてるのに己は・・・とか
終わった後は解説とか他の人の提出を見て「天才~~~!」とか「次は倒す!」と思うようにしています。ゲームってすぐクリアできても面白くないですからね。

次の1年はとりあえず水色になって、それからはまあその時考えます。